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[映画『明日への遺言』を観た] [戦争映評]

明日への遺言.jpg

☆私は、『硫黄島からの手紙』を見終えたとき、あのようなふんだんな資金で作った戦争大作洋画に対し、邦画の戦争を語る作品が勝つには「戦争法廷物」しかないと語っていたものだ。

すると、この『明日への遺言』と言う、かなりの傑作が生まれた。

もっとも、東京裁判での東條英機を描いた『プライド』と言う作品が、私の念頭にあったのかもしれない。

『明日への遺言』は傑作ゆえに、その完成度は高く、私が語る余地は少ない。

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アメリカの大物量の骨太なテーマの戦争物に勝てるのは、ローコストでまかなえ、脚本力を駆使できる法廷物であり、その私の考える概念は、この『明日への遺言』と言う作品内での、岡田資中将の「法戦」と言う考え方と重なる。

物語について詳しく語るつもりはなく、ただ、「観に行けや!」と思うのだが、「法戦」について説明したく、ちょっと内容を語る。

・・・日本は戦争に負けた。

敗者は勝者に裁かれる。

東京裁判には、もはや、道理は存在しなかった・・・。

しかし、その「敵」だらけの法廷に、道理を復活させようとしたのが岡田資の「法による戦い」だった。

民主主義における裁判は名ばかりで、弁護人も連合軍側(アメリカ人?)、検察も連合軍側(アメリカ人?)、裁判官グループも連合軍側(アメリカ人?)だった。

だが、弁護人は、アメリカ人ながら、道理を通す人物だった。

岡田中将も、自分の思うところを法廷で語ることが出来た。

確かに、岡田司令官の受け持った東海方面軍は、日本全土を無差別爆撃せし米軍機から脱出してきたアメリカ兵を、略式審理の末、死刑に処した。

その段においての、東海方面軍の行為を裁く法廷が舞台となっている。

弁護人は、そもそも、米軍の行為が、無差別爆撃を禁じるハーグ条約に反する国際法違反だ、との線で、岡田との「共闘」を進めていた。

それだからこそ、その捕らえられた米軍機からの捕虜を、切迫した戦時下の情勢の中、死刑に処すという判断を下すことになった、と。

また、各所の法廷から、似たような事例の裁判(石垣島ケース)は、全て、軍関係当事者ほとんどが死刑判決を受けたことを知り、岡田は、自分の周囲の若者の前途を憂い、全責任を自分に引きつけようとした。

ここで、多くの観客は、「ああ、何て立派な人だ」と泣くのだろうが、私は、そんな「当然のこと」では心は動かされない。

責任者であった者が責任を取る。

それは当たり前のことだ。

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私が感動したのは、その岡田中将のパーソナリティである。

この人、わりと精神論を語ったりして、古いタイプの人である。

しかし、それが良き方向に作用する性格の人物らしかった。

英語を話せることもあり、「敵」とのコミュニケーションも取れ、また、部下との会話も気さくである。

法廷でも、わりと、誰にでも理解できる言葉で、自分ら東海方面軍の置かれていた状況を語っていく。

情勢を考えると、全ての行動は必然で、だが、結果については、自分が全責任を持つ、と言うのだった。

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  (余談)

私は、岡田中将を演じた藤田まことの大ファンであり、『必殺 仕事人』の映画の舞台挨拶の時に、「まことー!!」と客席から叫んだこともあるほどのファンである。

だから、岡田中将が、無差別爆撃を行なった米兵を略式審理の処刑を行なった理由を知っている・・・。

           ・・・仕事人だからである・・・。

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(閑話休題)

そういった、至って装飾のない岡田中将の真摯な語り口は、次第に、検察側や裁判官側の、戦犯としての岡田を見る目を変えていく。

その経過が見事だった。

主任弁護士フェザーストンを演じた俳優は、飄々としていて、立ち居振る舞いが洒落者で良かった。

いかにもアメリカ的な正義感に燃えていた主任検察官バーネット役も良かった。

どうあっても、重犯罪人に仕立てたい中将が、自分と似た正義感(日本風)を持っていることに、次第に敬意を表せざるを得なくなっていく様が良かった。

裁判委員長を演じたラップ役も良かった。

この白い肌に赤味が差している男は、酷薄そうなのだが、次第に、中将に対して、いや、中将の気持ちに対して、理解を感じていくのだった。

裁判委員長も、主任検察官も、法廷の言葉ではそれを表せないが、目で語っていた。

素晴らしい演技で、良かったなあ・・・。

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私は、何度か涙を流した。

それは、家族との交流のシーンだった。

奥さんを演じた富士純子だが、セリフはほとんどないのだが、裁判のはざ間の岡田に、信頼の笑顔を向け続けていた。

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では、岡田中将の語った言葉で、心に残った一つを最後に記す(細部はうろ覚え)。

「ここから話すことは、私の個人的な考え方です。
  私は仏教を信じる者だが、仏教には、十の段階がある。
  畜生道、修羅、人間、そして、菩薩と…、徳が高まっていくのですが、
  (日本を裏切るような)武藤の如き畜生には、
  自らも畜生に落ちて、懲らしめなくてはならない…」

私も、ブログ等で、卑劣な野郎を糾弾するときは、自分が同レベルに堕ちて戦わねばならない時がある・・・。

法廷と言う閉鎖的な空間を舞台にしながら、なんとも、空間的な広がりを感じたのは、この岡田中将の庶民的な常識が日常を感じさせてくれたからだろう。

                      (2008/03/01)
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