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[日露戦争開戦記念日(ちなみに昨日は北方領土の日)] [戦争物語]

[日露戦争開戦記念日(ちなみに昨日は北方領土の日)]

本日は、日露戦争の開戦からきっかり103年目である。
2004/08/10に書いた投稿の再掲をしたい。
この頃、『坂の上の雲』を読み終え、興奮していた時期だ。
その後、段々と、司馬遼太郎のおかしい点も理解してくるのだった・・・^^;

     #     #     #

[日露戦争における日本軍、旅順での被害は食い止められなかったのか?
        ・・・そして、ユダヤ人との関わり(渡部昇一言説より)]

▼渡部昇一先生は、こう語っている。・・・日露戦争は世界史上の大事件の一つであり、そして、その「要(かなめ)」としてある戦闘が<旅順攻防戦>であったと・・・。
何故、「要」と言う言葉を使っているのか? ・・・それは、例えば、日露戦争においては、遼陽会戦においても、奉天会戦においても、「痛み分け・引き分け」という結果があり得た。
しかし、この<旅順攻防戦>は、曖昧な決着は許されなかった。負けたら、それは日露戦争そのものの日本の敗北が決定するのだ。
故に、の、渡部先生による「要」と言う言葉の使用である。

▼元々は重要視されていなかったロシアの旅順要塞であるが、その攻略が必要不可欠になったのには、バルチック艦隊の存在がある。
それまで、日本連合艦隊は、ロシア東洋艦隊とイーブンの戦いに邁進することだけを考えれば良かったのだが、バルチック艦隊の極東派遣が、その戦局を変えた。
司馬遼太郎が繰り返し語っているように、艦隊決戦においては、その艦数・砲数が絶対的なものだと言う。
日本連合艦隊とロシア東洋艦隊のパワーバランスがつり合っている状態においては、その勝利に期待が持てようが、そこにバルチック艦隊が参戦するとなると、単純計算で、2:1の彼我戦力差となり、絶対に勝ち目がなくなるのである。
「海で負けても、陸で勝てばどうにかなる」と言う意見もあるだろうが、仮にも陸続きで戦場にやって来られるロシア軍と違って、日本は、戦場である大陸まで行くのに海(日本海)を渡らなくてはならないのである。
陸戦における戦闘が、何の補給も無しに続けられようはずはなく、その補給路である日本海の制海権を死守することがとてつもなく重要かつ不可欠なことになるのである。
そして、その日本海における大陸への補給路堅持の制海権維持の為には、バルチック艦隊が極東にやってくる前に、日本連合艦隊は、ロシア東洋艦隊を殲滅しなくてはならなかったのだ。彼我戦力差2:1では勝てようはずがないが、1:1、1:1の艦隊戦を二度繰り返すことにおいては、勝機は大いにあったのである。

▽勝てる可能性がある段においては、絶対に勝たねばならないのが、国民一丸で戦っている【日本国】であった。
所詮、ロシアはこの戦争に敗北したとて、広大な国土の向うに引っ込めば良いだけの話であるが、日本には後がなかった。・・・日本国の領土そのものをぶん取られてしまう危機なのである。
日露戦争に勝つしかなく、その戦争に勝つためには、日本海における補給路を死守せねばならず、その為には、絶対的に艦隊戦での勝利を必要とし、その為には、日本連合艦隊は二つの巨大ロシア艦隊を一つづつ撃破しなくてはならないのである。
いやはや、こうして書いていても、この当時の日本が、いかに厳しいトーナメント式戦いを勝ち進んできたか分かろうと言うものである。
で、その厳しいトーナメントの戦いの数々、それらが引き分けでも許される戦いだとして(トーナメントで引き分けが許されるってのは変な話だが^^;)、これだけは負けたら『ハイ、それま~で~よ~(by植木等)』の戦局が、<旅順攻防戦>であった。
難攻不落の旅順要塞は、旅順軍港を擁し、日本連合艦隊が第一に潰さなくてはならないロシア東洋艦隊が、バルチック艦隊の到着を待ち、「篭城」していたのである。
だが、海上からは、旅順要塞に攻撃を加えられない。艦砲より要塞砲の方が数も多く飛距離もあったからだ。
故に、日本軍は第三軍を組織し、乃木希典大将に陸上からの攻撃を任せたのであった。

▽乃木大将は、その十年前の日清戦争において、一日で旅順要塞を陥落させたと言う実績を持っていた。
これが悲惨なことになった。もはや、旅順要塞近辺には、十年前の面影はなく、近在の全て200m級の山が全て要塞化しており、当時では珍しいコンクリートで固められ、深い深い塹壕も掘られ、電流の流れる有刺鉄線も張り巡らされていた。
しかし、日本軍側には、それに対しての情報もなく、従って対策もなかった。文字通り「十年一日」の方法を用い、ロシア側の見晴らしの良い山頂部や、高い地点からの大砲や機関銃の格好の的にされた・・・。
かくして、<旅順攻防戦>における日本軍死者は、一万五千四百名を数えるに至る・・・。

▼さて、<旅順攻防戦>の帰趨については、もう書かない。ここから、やっと渡部昇一先生の語るところの本題である。
<旅順攻防戦>において、多大な犠牲を払った日本陸軍第三軍の参謀達が言ったそうだ。『(前もって)あれほどの要塞であることを教えてくれていれば、(もっとマシな)やりようもあった』と・・・。
ちょっと、情けないセリフでもある。ならば、前もって、情報収集なりをすべきであった。

▽とは言うものの、ロシアが旅順を鉄壁堅牢な要塞化している情報はあったそうで、日本側も、実状を知ろうと、中国人の苦力(クーリー)に化けさせたスパイを送ったのだそうだ。しかし、捕まったり、殺されたりでうまくいかなかったのだそうだ。
では、他に調べる方法はなかったのだろうか? と、渡部先生は言う。『私は「あった」と思う』と書いている。『これは後世の知識をもとに百年後の人間が考えたことだから、当時の人を非難する意味ではなくて、日本人の教訓として受け止めてほしいのだが・・・』と。
「要塞建築の資材」への着目を、渡部先生は促す。
日露戦争以前の、シベリア鉄道全線開通以前から、旅順のロシアによる要塞化は始まっている。故に、その資材はシベリア鉄道で運ばれた訳ではない。・・・調べてみると、それは海路。イギリスの船で、ユダヤ人の調達によって為されていたのだ。つまり、そのユダヤ人関係にコネクションや諜報活動によって情報を得れば、要塞の構成実態が把握できたのではなかろうか? と、言う訳だ。

▽日露戦争における高橋是清の、外債売却に頼った戦費調達の話があるが、イギリスまで行ったにも拘らず、その成果は目標に至らなかった。そんな折り、偶然に出会ったのがアメリカのユダヤ人の銀行家シフであった。彼は、ヨーロッパにおけるロシア人によって為されるユダヤ人の苦難に憂慮し、そのロシアと戦っている日本を応援する意味で、高橋に足りない戦費半分の調達を確約してくれたのだ。
世界的に影響網を持っているユダヤ人、日露戦争において、いい結果ももたらしつつ、見過ごしたばかりに悪い結果をももたらしている・・・。

▽ポーツマス講和会議においても、影にユダヤ人の影響が見え隠れすると言う。ロシアの全権ウィッテは、ドイツの金融シンジケートのメンデルスゾーン(ユダヤ人)にこう言われていたそうだ。
 『ロシアは陸で負け続け、海軍でも負けてしまった。しかも国内では革命も起こりそうではないか。早く講和を結ばなければ、もはや金を貸し続けることは出来ない』
ウィッテは、このメンデルスゾーンの言葉に焦りつつも、そこはロシアの偉大なる代表、そんな裏事情は内に秘め、講和会議に挑んだと言う。
小村寿太郎も、その情報を掴んでいたら、もっといい交渉結果を得られたことだろう。
講和条約が締結された時、ウィッテが<いの一番>に連絡したのは、皇帝ではなくメンデルスゾーンだったそうだ。

▽日露戦争におけるユダヤ人の役割は大きく、その後の世界史上においても、影響力は大きい。にもかかわらず、その後、日本人は<ユダヤ人の影響力>を忘れた。
ユダヤ人を葬ろうとしたヒトラーのドイツと同盟を結んだりもしてしまった。
渡部先生は、その時点においてニ・ニ六事件で高橋是清が殺されていたのは惜しい、と言う。
高橋ならば、ドイツとの同盟がユダヤ人を敵に回すと言うことを理解できたと言うのだ。それは、日本の一番心配している石油がどうにもならなくなることを意味するのだぞ、と。

▽渡部昇一先生は、ユダヤ人の話を通して、日露戦争から現在に連なる「情報」の重要性を鑑みている。・・・以上、『歴史街道』誌の9月号より、読み取らせて頂きました。

▽私は、それに同感しつつ、一連の話からもう一つのテーマを読み取りました。
兵隊にとっての<食料>。
軍隊にとっての<補充弾薬・補充兵員>。
戦争にとっての<戦争資金>。
国家の物理的運営の為の<石油>。
それら、「エネルギー調達」の重要性である・・・。
腹が減っては戦は出来ぬ、である^^

▼しかし、日露戦争を語るのは、誤解を招く表現だが「楽しい^^」「燃える^^」。
それは、国民一丸で一生懸命、エッサカ! ホイサカ! と勝利に邁進しているからだろう。
私は、日露戦争のことをよく書くので、よっぽど、しばらく書くのをやめようと思うのだが、気がつくとまた書いている^^
私はどうも、坂本竜馬たちの幕末の時代よりも、日露戦争の時代のほうが好きだ。
私はどうも、坂本竜馬が、あまり好きではないことに最近気づいた。それについては近日・・・。

     #     #     #

☆二年半前の文章なのに、私の幼さが異常に分かる文章である^^;
       (2004/08/10の再掲 本日は2007/02/08)


[『硫黄島からの手紙』短評] [戦争物語]

[『硫黄島からの手紙』短評]

▼昨日、彼女と観にいった。
私の彼女は、戦争について全くの無知である。
が、何の予備知識もなく連れて行って、どういう感想を抱くか興味深かった。

映画の完成度は非常に高かった。
イーストウッドの硫黄島二部作が第一弾『父親たちの星条旗』では、過酷な戦闘シーンに捌く上映時間中の割合が少なく、硫黄島戦の過酷さの描写に物足りなさを感じたが、今回は、その物語の四分の三が戦争シーンに費やされる。
アメリカ側の物語が、摺鉢山攻略に焦点があたっていたのに対し、日本側の戦いは、摺鉢山が攻略されてから、なのだ。

私が、今まで経験した映画上の戦争(合戦)で凄いなあと思ったものに、『スターシップ・トゥルーパーズ』『プライベート・ライアン』『ブラックホーク・ダウン』『ロード・オブ・ザ・リング:二つの城』などがあるが、
それらは、最新の技術を駆使して、映像や音響や表現で「ケレン」を醸していた。
だが、イーストウッドの演出は淡々としている。
西部劇の頃から変わらない、地に足のついた、土の匂いのする演出だった。
しかし、その戦闘描写に費やす丈は長い。
その長い時間の経験こそが、戦争なのであろう。
恐怖も痛みも熱さも空腹も、二時間ちょっとの物理的苦しさでは済まない。

渡辺謙の栗林中将は良かった。
栗林中将には「達観」があり、自分の役割を厳然と認識していた。
過酷な中で、至って明るく、自分の為すべきことを為していた。

バロン西も、その演者(井原剛志)ともども良かった。
洋行経験のある栗林中将とはまた違った西洋通でもあり、物語上で、伊達男である彼の存在が、米兵捕虜とのささやかな交流といい、物語に大きな道筋をつけていてくれた。

「こ、これって、無理じゃない!?」
と、私の彼女は、私に耳打ちした。
凄まじい物量の米軍上陸シーンだ。
「うん。無理なんだよ。絶対に勝てないんだよ。彼らの目的は、一日でも長く、ここを死守することなんだよ・・・」
「ええっ!? ・・・一日でも長く・・・」

私の彼女にとって、フィクションか実話かも知らないこの硫黄島戦、今まで戦争物などを見たこともなかったので、かなりの衝撃だったようだ。
「自分が死ぬこと」は、逃れられぬ前提なのである。
彼女には、自分が死んでも愛する者を守る、と言う思考にまで考えが行き着いてくれただろうか?
戦闘序盤の、それでも厳しい攻撃の果て、自分らの前に単身で現われた米兵を、皆で銃剣を刺しまくるシーンがあった。
それで、私の彼女の無知は打ち破られ、下腹部に強烈な衝撃を宿したそうだ。

私が不満を感じたのは二点。
栗林中将の作戦で、硫黄島は、蟻の巣が張り巡らされたかのようなトンネル群の地下大要塞になる訳だが、
このトンネル群、かなりの岩盤をくりぬいて構築されたようだ。
なんたって、アメリカ軍上陸に先立つこと数日間に渡って大爆撃が繰り広げられて、地表は草木の生えぬほどの荒野にされていたにもかかわらず、地下基地は無傷で健在だったのである。
その大要塞の構築過程の描写が足りないように感じた。

それともう一つ、
5日間で容易に陥落すると考えられていた硫黄島は、その7倍の日数36日間持ち堪えたわけだが、その時間経過がこちら(観客)に分かりやすく伝わっていない気がした。

他の説明不足の点は、二部作を通してみると、良く分かる。
一作目で、ただの神出鬼没の幽鬼的存在であった日本軍が、二作目では血の通った人間と描かれ、
されど、今度は、米軍が鬼畜米兵のように描かれると思いきや、くだんのバロン西と米兵捕虜のエピソードで、自分たちと同じく親の心配を背中に受けて出征した米兵の姿として描かれていた。
イーストウッドは、必ずしも、この、日米双方を描いた二部作を「裏表」とは考えておらず、時間軸は平行しているが、そのテーマ性においては、ちゃんと前篇・後篇として作っているのだなあと感心した。

指揮官、幹部、下士官、兵卒・・・。
それぞれの立場での「正義」と、「人間の強さ・弱さ」が押しつけがましさなく、実に冷静に見つめられていたと思う。
戦争というものは、多くの人の人生を覆い尽くしている。
国家も、科学も、希望も絶望も、この世の全てを包括している事象だと思う。

二部作を、順番通りに、なるべく時間を置かず観る事をお勧めします。
やっぱり、戦闘シーンは、物語の「華」である。
第二作目の『硫黄島からの手紙』にこそ、その戦闘シーンのクライマックスが死屍累々と横たわっている、栗林中将やバロン西の「爽やかさ」とともに・・・。
                  (2006/12/18)


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