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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十二回】 [ノモンハン考]


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               あまり騒がしくなく、大人びた終戦の日の靖国神社でした

私は、ゆっくりと、この「ノモンハン」シリーズが良き方向に導かれることを祈りました。

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十七柱   陸軍伍長 <石田 彦正>
 
    「為し難き臨機応変の活躍」

 八月二十日以来頑敵と激戦を交へてゐた部隊は、遂にこれを撃破、ウズル水西方七五八高地に進出、ここで又優勢な敵を向うに廻した、二十二日払暁のことである。敵は戦車の大群をもつて猛攻して来た、この時肉迫攻撃班長となつて、見事、これを撃退したのが、わが石田伍長である。

 その後間もなく、わが野戦病院が敵戦車に包囲されたといふ急報に接し、その救援のため、石田伍長は、斥候長を命ぜられた。伍長は、直ちに部下二名をつれて出発した。

 だが一行は程なく敵戦車に前途をさへぎられた。あそこに一両、ここに一両と、立ち廻つている怪物、伍長は、三人では却つて眼につくと思つて、

「お前達は此処で待つてをれ! これから先は自分ひとりで行く」と云ひ残して敢然として勇住邁進の決意をした。

 彼は、不安気に見送る部下を後に戦車と戦車の間隙を縫ひ、或は伏し、或は駆け、たくみに敵の目を逃れ遂に目的の野戦病院に駆けつけた。来て見ると、病院内は重傷患者が充満、此処へもし戦車が殺到したら、おそるべき惨事をひき起すことは火を見るよりも明らかだつた。

 一刻も猶予はならぬ。伍長は帰路につきながら、地形、戦車のゐる場所を仔細に観察して、もとの地点に到達、部下と共に帰還した。そして直ちに小隊を誘導して、無事患者を、戦車の包囲網の中から救出したのであつた。かうしたことは、ただ勇気だけでは出来ないのだ。沈着、豪胆、迅速、細密なる知察と、的確なる判断が必要である。実に石田伍長は、これ等を兼ねそなへ臨機応変に活躍したのであつた。

   ◇   ◇

終戦の日に、こうしたヒロイックな戦記を紹介できることは嬉しいです。

私が勝手に判断できないことだが、男ってのは、自分の活躍が語り継がれることに「生きた証」を感じるものだと思うのです。

それが、死してなお残る名声、プライド、<誇り>の一つだと思うのです。

上記のような内容は、アメリカの戦争ドラマ『コンバット』のように、日本でも描かれ続けてほしいものです。

・・・今回も、「ウズル水」と言う淡水湖の名前が出てきますが、ここは、戦場の最後方でもある。

8月22日の時点で、ここにも敵の戦車部隊がやってきているということは、ソビエト軍の包囲網が完成に近づいていることを示しています・・・。

                                                            (2008/08/15)
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