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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十三回】 [ノモンハン考]

☆いやはや、最近、なかなかブログ・ランキングの調子が良いです^^v

私の望みは、より多くの方に読んでいただくことなので、嬉しい限りです。

有難う御座います!

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十八柱   陸軍伍長 <稻本 正嘉>
 
    「壮烈! 血の手振り信号」

 敵前五百米、歩兵部隊は、突撃の機を狙つて、砂上にへばりついてゐた。が、顔も挙げられぬ猛烈な敵の銃火である。追撃砲弾と、マキシム重機とが、弾丸の嵐を吹きつける。こいつを沈黙させない限り、突入はさう易々とは出来ない。

 小隊長は、歩兵陣地の後方八十米ばかりのところに伏せてゐる擲弾筒分隊に向つて、

「擲弾筒分隊、敵の追撃砲と、重機とを殲滅せよ」と大きな声で叫んだが、何をいふにも轟音の嵐の真只中だ。それに距離も少しありすぎた。到底命令が届きさうにない。

 それと見るや、連絡係の稻本上等兵は、さつと身を翻すと、擲弾筒分隊に向つて脱兎の如く駆け出した。連続的に馳ると狙はれる。二十米走つては伏せ、機を狙つては又馳る。が、無念、あと二十米ばかりのところで、左の胸を射貫かれ、ばつたり倒れた。苦痛を忍んで匐ふ。忽ちその力は尽きた。

 もう声をあげれば届く。が、その声が出ないのだ。もう駄目だと覚悟するや、

「天皇陛下万歳」と叫んだ。殆ど声にならず、その代り血がどつと咽喉に込み上げて来る。そのまま打伏さうとして、急に、まだ擲弾筒分隊に連絡をとつてゐないことを思出した。しまつたと思ふと、身をごろりと仰向けに横たへたまま、血潮に濡れた両の手を空に向け、手振り信号を始めた。

 擲弾筒分隊では、その手振り信号を読んだ。そして、激しい射撃を開始した。轟然と頭上を飛んで行く擲弾筒の弾丸の唸りを聞きつつ、稻本上等兵は、任務を果し得た安堵の中に、最期の息を静かに引き取つたのである。

   ◇   ◇

・・・すいません。

関係ない話ですいませんが、今、8/17の午後9時過ぎなのですが、また、NHKが「NHKスペシャル」で反日放送をしています。

どこまで本当で、どこまで嘘か分かりません。

  ≪   調査報告 日本軍と阿片

  (NHKホームページより)
 昭和12年(1937年)に勃発した日中戦争―。広大な中国で、日本は最大100万もの兵力を投入し、8年に渡って戦争を続けた。武力による戦闘のみならず、物資の争奪戦、ひいては金融・通貨面でも激しい闘いを繰り広げた。
 「戦争はどのようにして賄われたのかー」。最新の研究や資料の発掘によって、これまで全貌が明らかにされてこなかった中国戦線の「戦争経済」の様々な側面が浮かび上がっている。その一つとして注目されているのが、当時、金と同様の価値があるとされた阿片(アヘン)である。
 19世紀以降、イギリスなど欧州列強は、中国やアジアの国々に阿片を蔓延させ、植民地経営を阿片によって行った。アヘンの国際的規制が強化される中、阿片に“遅れて”乗りだしていった日本。日本の戦争と阿片の関わりは、世界から孤立する大きな要因になっていたことが、国際連盟やアメリカ財務省などの資料によって明らかになってきた。
 また、これまで決定的なものに欠けるとされてきた、陸軍関係の資料も次々に見つかっている。軍中央の下で、大量のアヘンを兵器購入に使っていた事実。関東軍の暴走を阿片が支えていた実態。元軍人たちの証言からも、日本軍が阿片と深く関わっていた知られざる実態が明らかになってきた。
 番組では、日本と中国の戦争を、経済的側面からひもとき、知られざる戦争の実相に迫る。   ≫

だから、なんだよ・・・、と言いたい。

その頃、中国の方では、どんな凄まじいことが行なわれていたか特集してみろよ。

そして、現在の中国辺境で起こっていることも・・・。

北京オリンピックを笠に着て、NHK、やりたい放題である。

                                               (2008/08/17)
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