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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十五回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第三十柱 陸軍上等兵 <池田 秀次>

    「決死突撃路を開く」

 わが軍の猛攻の前に連戦連敗、つひに国境線まで撃退された敵も、今は数段構への陣地を構築し、その間至るところに戦車をあたかも移動トーチカと云つた工合に配置して、死物狂ひの抵抗ぶりを見せてゐる。

 七月五日、わが前線に渡つて、進撃命令が発せられた。池田上等兵の属してゐた小隊は、とりわけ堅牢無比の敵陣地を前にして、少数の兵でこれを撃破しなければならず、戦況すこぶる苦境を極めた。

 この上は最後の強硬手段を取るほかはないと、悲壮な決意を固めた小隊長は、池田分隊長を呼びよせた。

「池田、御苦労だが、お前の分隊は決死隊となつて、あの突角陣地を奪取して貰ひたい。それをきつかけに全員進撃をやる」

「承りました、必ず奪取致します」

 今春陸軍教導学校を出たばかりの勇敢なる池田上等兵   彼こそは小隊長の最も嘱望する分隊長だつた。「何といふ甲斐甲斐しい任務だらう……」 日ごろ敬慕する隊長からこの重大な任務を命ぜられた彼は、欣喜雀躍、直ちに部下の分隊を率いて前進を開始した。

 それと見た敵陣地の機関銃は猛然と火を吐きだした。側方に散開してゐる敵戦車からも、戦車砲機関銃の滅多打ちだ。

「何をツ!」

 相手が手強ければ手強いだけ、池田上等兵の攻撃精神は燃えさかる。弾雨の中を、つひに敵陣寸前に迫つた彼は、

「突撃ーツ!」

 猛虎のやうに吼えながら、真先に敵陣へ躍りこんだ。部下の兵も遅れじと雪崩れ込む。忽ち起る凄惨な白兵戦   泣きわめく奴、逃げだす奴、じつとして手を合せて拝む奴、当るを幸ひきり伏せ、殴りつけ、またたくまにこの堅陣を奪ひ取つてしまつた。

 この大成功を見た小隊長は、直ちに全軍に突撃命令を下し、動揺し始めた敵陣を片つ端から攻撃して行つた。

   ◇   ◇

 ずいぶんと元気の出る池田上等兵の活躍である。

 ・・・さて、昨日かな、朝、FM<NACK5>を聞いていると、大野勢太郎が、先の自衛隊の護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故の、続報ニュースで、自衛隊側が事故検証の結論として、「清徳丸の方に原因があった」としたことについて、不満を言っていた。

「前に行なった反省の弁はなんだったんだ! こうした、後から自分の都合のいいように言うことを変えることはけしからん!」

 まあ、その内容についてはコメントしない。

 私には、その是非を決める主張を持っていない。

 ただ、そのセリフが心に引っ掛かった。

 よく、左翼は、昨今の大東亜戦争肯定論を、歴史修正主義だなどと揶揄する。

 あたかも、「前に行なった反省の弁はなんだったんだ! こうした、後から自分の都合のいいように言うことを変えることはけしからん!」などと。

 そして、このノモンハン事件についてもだ。

 だが、よく考えて欲しい。

 大東亜戦争終結直後、日本国民においては、現在の左翼の言うような、軍国主義の反省、戦争自体への反省の気持ちなどはなかったのである。

 この、ノモンハン事件直後の書籍『ノモンハン美談録』を読んで貰っても分かるように、ノモンハン事件への失敗の感情などはなかったのである。

 「前に行なった反省の弁はなんだったんだ! こうした、後から自分の都合のいいように言うことを変えることはけしからん!」

 という言葉を照らし合わせるに、「前に行った弁」「後から自分に都合よく変更」を、60年以上かけて為してきたのは、戦後民主主義と言う汚物の中でぬくぬくと生きてきた左翼陣営以外にはいないのである・・・。

                                                (2008/10/27)
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