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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十一回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第二十五柱 陸軍伍長 <猪狩 功>

    「俺の屍を越えて行けツ」

 七月七日、その日はドンヨリと雲が垂れて、生温い風が一日中同じ方向から吹いてゐた。一瞬夏草に覆はれたバルシヤガル高地に陣取つて十数倍の敵と対峙してゐた部隊は、終日敵の猛射をうけながら、満を持して動かず、ひたすら夜の来るのを待つた。この敵の堅陣を破るには、夜襲よりほかはないのだ。

 つひに夜が来た。星明りすら見えぬ闇夜だ。いよいよ進撃の火蓋は切つて落された。わが夜襲こそ、敵の最も怖れるものだ。戦々恐々として夜を迎へた敵は、忽ち十五糎その他の火砲を集中して、わが前進をさへぎらうとする一方、待機した戦車群は一斉に火を吐き出した。見るも物凄い銃砲弾の嵐   部隊はつひにこの戦車群のために前進を一時中止せねばならなくなつた。まづこの戦車をやツつけておかなくては、前の陣地は取れない。小隊長は意を決して分隊長猪狩上等兵を呼んだ。

「猪狩分隊、敵戦車群を肉迫攻撃せよ!」 悲壮な命令だつた。わづか一分隊をもつて数十両の戦車群への肉迫攻撃。

 だが、さすが小隊長に見込まれただけあつて、豪勇果敢の猪狩分隊長はビクともしなかつた。演習のときと少しも変らぬ沈着さで、直ちに分隊全員を集め、任務を告げ知らせるとともに、攻撃方法を十分に打合せた。

「さあ行かう。みんな頑張れ! 俺が倒れたら、俺の屍を越えて行けツ!」

 決然命令を下し終ると、自分も地雷、火焔瓶をひつさげ、真先に弾雨の中にとびだした。隊員も遅れじ突つ走る。

 やがて第一の戦車へ忍び寄つた猪狩上等兵は、飛鳥の如く身を踊らして無限軌道にとびつきざま、砲塔の上から火焔瓶をたたきつけた。

 忽ちパツと燃え上る戦車。

 してやつたりとばかり、上等兵はすぐさま第二の戦車に駆けより、それと知つて慌てて逃げようとする戦車の下へ、今度は戦車地雷をさし込んだ。

 轟然たる爆音……さしもの鐵牛もたはいなく破壊されてしまつた。同時に他の数両も、隊員たちによつて次々に破壊され、夜空に炎々たる火を吐いて燃え始めた。

 これに驚いた敵は、周章狼狽、燃えだした僚友の戦車を残したまま一目散に逃げだしてゆく。これを見た友軍は、ワツと喚声をあげて突撃を開始した。

 だがその時、敵戦車が逃げながら盲撃ちに乱射する機関銃弾は、かくや猪狩上等兵の頭と胸をうち貫いた。

「分隊長殿! 小隊は突撃を始めました。大勝利、大勝利ですツ!」 部下が抱き起して叫ぶと、

「うむ……行け!」と、敵の方を指さしたまま壮烈な最期だつた。が、その死は決して無駄ではなかつた。友軍は忽ち相続いて敵陣に殺到し、更に次の陣地へと突撃をつづけて、つひに全軍戦勝の基を開いたのである。

   ◇   ◇

これは、日本軍による<河渡河作戦>での、ハルハ河西岸での出来事だと思われる。

     『俺が倒れたら、俺の屍を越えて行けツ!』

この言い回しは、現在でも使われているが、語源と言うか、言い始めはいつなのだろうか?

何となく、戦国時代チックであるが、意外に、このノモンハンの頃から言い始められたのかも・・・。

「(敵を)叩くッ!!」と言う表現は、日露戦争時に言わはじめた言葉だそうだ(by司馬遼太郎)。

どの将校が言い始めたのかは、私、忘れてしまった^^;

                                                 (2008/10/07)
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