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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十六回】  [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第二十柱   陸軍伍長  <市場 国衛>

 第二十一柱 陸軍一等兵 <山根貞一>

    「肉迫して敵戦車を焼く」

 敵は、わが猛追撃の下に、追はれ追はれて退却を始めた。わが歩兵は、この機を逃すまじと、いよいよ盛んに追撃をする。

 と、この時、敵は一両の戦車を繰出して、その退却部隊の援護に当らせた。歩兵部隊は、それツとばかり、陣を布き、友軍の速射砲の到着を待つた。が、肝腎の速射砲隊は、歩兵の猛前進に、今はずつと遅れてしまつてゐると見え、到底間に合ひさうにない。と、敵戦車は、陣前三百米まで肉迫して来ると、ピタリ停つて、一段と盛んに砲弾、機関銃弾を浴せて来る。こちらが、小銃部隊なのを見ての、猪口才な仕打である。癪にさはるが、地雷攻撃をしようにも、敵が動いてくれないと都合が悪い。地雷は、戦車がその上を通つてくれないと爆発しないからだ。

 かうなると、速射砲が到着する迄は、壕を掘つて隠れてゐるより仕方がないが、それでは、折角の追撃の機を失ひ、まんまと敵を取逃がしてしまふことになる。

 たつた一両の戦車に攻撃を阻まれるとは!

 この時、擲弾筒分隊長の市場上等兵は、山根一等兵から擲弾筒をとると、鮮かに角度をとり、一発ぶつ放した。弾丸は、見事敵戦車の真上に落ち、天蓋が吹飛んだ。戦車は、驚いたらしく、がらがらと後退し始めたが、忽ちガクンと停つて動かない。擱坐したのだ。が、猶も、銃砲火で盛んに抵抗して来る。市場上等兵が、第二弾を用意してゐると、射手の山根一等兵は、

「上等兵殿、撃つのは待つて下さい。弾丸が惜しい。山根が焼いて来ます」

 云ふが早いか、彼は火焔瓶を掴んで駆けだした。

 敵は狼狽へ彼に弾丸を集中したが、あまり急に肉迫して行つたので、一発も当らぬ。山根は、擱坐した戦車に近づくと、いきなりその下へ匐ひ込んでしまつた。これには乗組員も手が出なかつたらしい。

 やがて、後部の機関部からボツと火の手が上つた。敵の乗組員は、火傷を負ひつつ逃れ出て来たが、待つてゐたとばかり、山根一等兵に一撃の下に倒された。と、この時、後方から駆けつけた部隊は、どつとばかりに殺到し、忽ちこの戦車を踏み越え、再び猛追撃は開始されたのであつた。

   ◇   ◇

ノモンハン事件の後半は、日本軍による肉弾攻撃は、ソビエト軍の車輛改良によって、通用しなくなったという「嘘」がまかり通っている。

そもそも、数ヶ月間の間に、戦車に、そんな装甲のヴァージョンアップを図れよう筈がないのである。

ソビエトの戦車装甲は、始終、日本軍の銃弾によって、穴を空けられた。

ただ、ウィークポイントのエンジンの上部には、金網が貼られ、剥き出しであった時よりは、投げつけられた火焔瓶を弾ませて、やや防御に役立ったようだ。

                                                        (2008/08/31)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十五回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十九柱   陸軍衛生兵伍長 <今岡 正雄>
 
    「衛生兵の神」

 七月の灼熱した太陽の下、敵陣を目ざして突撃する我が軍は、見渡す限り草と砂、坦々として凹地一つない平原を躍進して行くのであるから、敵弾に倒れる者が続出した。その第一線将兵と行動を共にし、負傷者に假手当をする為に、弾雨の中を駆け廻つてゐた。

 続けざまに、敵銃砲弾が落下し、草原を揺がすやうな爆音があがる。今岡上等兵は、ハツとすると、もうその跡へ駆けつけてゐた。

「おい吉井、森山もやられたか」

 吉井一等兵は肩、森山一等兵は左腕をやられて血達磨となつて倒れてゐた。手早く森山の腕を縛り、血止めを行ふと、続いて吉井を抱き起した。出血多量のために、はや意識を失ひかけてゐる。しまつたと思つたが、

「吉井ツ、吉井つ、元気を出せ、元気を出すんだ」 叫びながら、砲煙渦巻く中にあつて、彼は沈着にも注射器を取出すと、手早くカンフルを一本射した。吉井は、既に答へる力さへ失ひかけてゐたのである。身を以て吉井を庇ひ一分、二分と、その頬に生気を甦るのを待つたが、矢張り駄目だつた。

「吉井、可哀さうな事をした。もう少し俺の来かたが早かつたら、一言ぐらゐ話が出来たかも知れなかつたのに……。その代り、俺の体の蔭で、安らかに息を引き取つてくれよ」

 今岡上等兵の心頭には、機関銃弾もなかつた、砲弾もなかつた。戦友の臨終を見守つて、彼は長いこと、じつと動かなかつたのである。

 それから二十分あまり後であつた。吉井一等兵の倒れた場所から二百米ほど前進した地点で、今岡上等兵は、一戦友の屍に折り重なつたまま、敵砲弾にやられて壮烈無比の戦死を遂げてゐた。その手には、包帯が、しつかと握られた儘であつた。自己の尊い使命に殉じた彼、戦友達は、今なほ「衛生兵の神様だ」と尊敬の念を籠めて、思ひ出話としてゐるのである。

   ◇   ◇

私は、苛酷な現場(例えば、戦場など)のドキュメント番組を見るとき、キャスター以上にカメラマンの大変さを思う。

極限にまで意識しなくてはならない対象が、複数であるからだ。

衛生兵も、兵卒以上に大儀な役割だろう。

敵と味方を、極限まで意識し続けなければならないからだ。

                                                 (2008/08/22)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十四回】 [ノモンハン考]

☆私は営業職なので、車で都内を回っている。

今は、夏休みなので、NHKラジオで、「こども電話相談室」みたいのをやっている。

面倒なので、その質問を具体的に書かないが、他愛ないものから、とてつもなく根源的なものまで多くの質問がある^^;

それを、それぞれ専門の先生が、懸命に答えるのだが、子供に「はぁ」とか「はぁ…」とか「はぁ?」とか答えられちゃっていて笑える。

私は、たびたび、この「ノモンハン」シリーズで、閲覧者に向かって質問をしたりする。

すると、いつも、日本随一の軍学者・兵頭二十八氏の門弟MUTIさんが答えてくれる。

もし、兵頭先生自ら私に答えてくれたら、その膨大な専門知識の洪水に、私は、「はぁ」とか「はぁ…」とか「はぁ?」と答えてしまうかもしれないが、

MUTIさんが、素人にまで分かるように、兵頭理論を咀嚼して語ってくれたりする。

ただ、私は、兵頭先生の理論は、時に、あまりにもクール過ぎて、首肯できないときもある。

ともあれ、今回は、MUTIさんからのメールを転載する。

MUTIさん自体は、職種上、その職業をあらわには出来ないが、私など相手にしてくれるのが不思議なほど、地位の高い方である。

引用中の(赤いコメント)は、私の言葉です。

   ◇   ◇

 蘭様。

 「わかりやすい「戦争」」、好調のようですね。
 毎日とはいきませんが、拝見させていただいております。

> 「上等兵」と「一等兵」の違いも、どなたか、お教え下さい^^;

 との事、上等兵が一等兵より一つ上の階級という事はご存じでしょう。
 疑問点は何でしょうか?   ・・・(そ、それです・・・^^;)

> 秋山好古大佐(当時)の率いる支隊が、最強のロシア騎馬隊の
> 猛攻を防ぎ得たのは、数丁の機関銃だったとも言われる
> (数える単位は「丁」でいいのか?^^;)。

 「丁」で問題ありません。(最近の一般国語辞典には、銃を数える際の助数詞の例がないものが多いようですね。)
 大砲だと「門」になります。

> 上記の秋山大佐の時代も、敵は数百倍の機関銃を所有していたのである。

 ちょっと具体的な数は今分かりませんが、これは「?」です。

 満州全体では、日本軍の方が多かったはずです。   ・・・(『坂の上の雲』から読み取った知識です^^;)

 秋山騎兵隊と直接戦った敵部隊のみを比較しての話をされているのかもしれませんが、ちゃんとした資料にあたらず、とりあえずネット検索で出てくるのが以下。

     http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj050518.html
     http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page167.html

 (大江志乃夫が日本軍の機関銃の「使用法が拙劣」と書いているそうですが、火力が攻撃と防御において果たす役割が認識できていないと思われます。)

 上記を読む際の基礎の説明に、とりあえずなりうるページ

     http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/m_gun/38mg.htm

 (上記、日本軍が日露戦争で使ったホチキス機関銃を三脚使用と思いこんでいる等のミスがありますが。)

 日清・日露の小銃・機関銃に関しては、やはり、兵頭二十八著、

     「有坂銃―日露戦争の本当の勝因」
     「たんたんたたた―機関銃と近代日本」   ・・・(よ、読みたいです、これ!)

 が、まとまった著作としては最高の内容です。しかし、簡単に手に入る本ではありません。

 「正でもって合し、奇でもって勝つ」

 という言葉があります。

 「まず、基本・基盤(組織・装備・法・等)を固め、正攻法で勝てる態勢を作って対決する。そして、(より有利、効果的・効率的に勝つために)奇策・奇襲を用いる」

 という意味になりますでしょうか。

 明治の日本は、なんとか「正」を確保していました。

 産業革命の進展に伴う大量生産と高度機械技術等に遅れた結果、昭和初期の日本では、これが怪しくなるのですが…

 さて、兵頭二十八原作の近著

     「やっぱり有り得なかった南京大虐殺」

 は、読まれましたか?   (・・・買いました。読みました。マンガとしては、正直、最低の出来でした^^;)

 ノモンハンや辻は直接関係ありませんが、当時の「雰囲気」を把握する好著です。

 諸々の事情で作画の技術に問題がある本となってしまいましたが、この原作で、巨匠が映画化していたら、世界映画史に影響を与える名作になったであろうシナリオです。   ・・・(ええ、抑制のあるシナリオでした)

 だいぶ以前、日本軍の砲兵部隊が、接近してきた敵部隊への対処のため、友軍歩兵部隊から護衛されるのは一般的かどうか、質問いただいたことがありました。

 その時、原則自部隊対処、という返答をした事がありました。

 が、旧日本軍の砲兵部隊は、近接戦闘用の火器をあまり持っていないため、敵軍の装備・戦法や状況によって、友軍歩兵の護衛を受けることがしばしばあったようです。

 申し訳ありません。   ・・・(いえいえ。有難う御座いました)

 できれば、またお会いしたいですね。   ・・・(もちろん^ー^)

   ◇   ◇

私が、「買いました。読みました。マンガとしては、正直、最低の出来でした^^;」と書いた作品は以下です・・・。

          兵頭マンガ.jpg

「マンガ読み」としては、この作品は、認めることのできない完成度でした・・・。

                                              (2008/08/20)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十三回】 [ノモンハン考]

☆いやはや、最近、なかなかブログ・ランキングの調子が良いです^^v

私の望みは、より多くの方に読んでいただくことなので、嬉しい限りです。

有難う御座います!

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十八柱   陸軍伍長 <稻本 正嘉>
 
    「壮烈! 血の手振り信号」

 敵前五百米、歩兵部隊は、突撃の機を狙つて、砂上にへばりついてゐた。が、顔も挙げられぬ猛烈な敵の銃火である。追撃砲弾と、マキシム重機とが、弾丸の嵐を吹きつける。こいつを沈黙させない限り、突入はさう易々とは出来ない。

 小隊長は、歩兵陣地の後方八十米ばかりのところに伏せてゐる擲弾筒分隊に向つて、

「擲弾筒分隊、敵の追撃砲と、重機とを殲滅せよ」と大きな声で叫んだが、何をいふにも轟音の嵐の真只中だ。それに距離も少しありすぎた。到底命令が届きさうにない。

 それと見るや、連絡係の稻本上等兵は、さつと身を翻すと、擲弾筒分隊に向つて脱兎の如く駆け出した。連続的に馳ると狙はれる。二十米走つては伏せ、機を狙つては又馳る。が、無念、あと二十米ばかりのところで、左の胸を射貫かれ、ばつたり倒れた。苦痛を忍んで匐ふ。忽ちその力は尽きた。

 もう声をあげれば届く。が、その声が出ないのだ。もう駄目だと覚悟するや、

「天皇陛下万歳」と叫んだ。殆ど声にならず、その代り血がどつと咽喉に込み上げて来る。そのまま打伏さうとして、急に、まだ擲弾筒分隊に連絡をとつてゐないことを思出した。しまつたと思ふと、身をごろりと仰向けに横たへたまま、血潮に濡れた両の手を空に向け、手振り信号を始めた。

 擲弾筒分隊では、その手振り信号を読んだ。そして、激しい射撃を開始した。轟然と頭上を飛んで行く擲弾筒の弾丸の唸りを聞きつつ、稻本上等兵は、任務を果し得た安堵の中に、最期の息を静かに引き取つたのである。

   ◇   ◇

・・・すいません。

関係ない話ですいませんが、今、8/17の午後9時過ぎなのですが、また、NHKが「NHKスペシャル」で反日放送をしています。

どこまで本当で、どこまで嘘か分かりません。

  ≪   調査報告 日本軍と阿片

  (NHKホームページより)
 昭和12年(1937年)に勃発した日中戦争―。広大な中国で、日本は最大100万もの兵力を投入し、8年に渡って戦争を続けた。武力による戦闘のみならず、物資の争奪戦、ひいては金融・通貨面でも激しい闘いを繰り広げた。
 「戦争はどのようにして賄われたのかー」。最新の研究や資料の発掘によって、これまで全貌が明らかにされてこなかった中国戦線の「戦争経済」の様々な側面が浮かび上がっている。その一つとして注目されているのが、当時、金と同様の価値があるとされた阿片(アヘン)である。
 19世紀以降、イギリスなど欧州列強は、中国やアジアの国々に阿片を蔓延させ、植民地経営を阿片によって行った。アヘンの国際的規制が強化される中、阿片に“遅れて”乗りだしていった日本。日本の戦争と阿片の関わりは、世界から孤立する大きな要因になっていたことが、国際連盟やアメリカ財務省などの資料によって明らかになってきた。
 また、これまで決定的なものに欠けるとされてきた、陸軍関係の資料も次々に見つかっている。軍中央の下で、大量のアヘンを兵器購入に使っていた事実。関東軍の暴走を阿片が支えていた実態。元軍人たちの証言からも、日本軍が阿片と深く関わっていた知られざる実態が明らかになってきた。
 番組では、日本と中国の戦争を、経済的側面からひもとき、知られざる戦争の実相に迫る。   ≫

だから、なんだよ・・・、と言いたい。

その頃、中国の方では、どんな凄まじいことが行なわれていたか特集してみろよ。

そして、現在の中国辺境で起こっていることも・・・。

北京オリンピックを笠に着て、NHK、やりたい放題である。

                                               (2008/08/17)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十二回】 [ノモンハン考]


               やすくに.jpg
               あまり騒がしくなく、大人びた終戦の日の靖国神社でした

私は、ゆっくりと、この「ノモンハン」シリーズが良き方向に導かれることを祈りました。

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十七柱   陸軍伍長 <石田 彦正>
 
    「為し難き臨機応変の活躍」

 八月二十日以来頑敵と激戦を交へてゐた部隊は、遂にこれを撃破、ウズル水西方七五八高地に進出、ここで又優勢な敵を向うに廻した、二十二日払暁のことである。敵は戦車の大群をもつて猛攻して来た、この時肉迫攻撃班長となつて、見事、これを撃退したのが、わが石田伍長である。

 その後間もなく、わが野戦病院が敵戦車に包囲されたといふ急報に接し、その救援のため、石田伍長は、斥候長を命ぜられた。伍長は、直ちに部下二名をつれて出発した。

 だが一行は程なく敵戦車に前途をさへぎられた。あそこに一両、ここに一両と、立ち廻つている怪物、伍長は、三人では却つて眼につくと思つて、

「お前達は此処で待つてをれ! これから先は自分ひとりで行く」と云ひ残して敢然として勇住邁進の決意をした。

 彼は、不安気に見送る部下を後に戦車と戦車の間隙を縫ひ、或は伏し、或は駆け、たくみに敵の目を逃れ遂に目的の野戦病院に駆けつけた。来て見ると、病院内は重傷患者が充満、此処へもし戦車が殺到したら、おそるべき惨事をひき起すことは火を見るよりも明らかだつた。

 一刻も猶予はならぬ。伍長は帰路につきながら、地形、戦車のゐる場所を仔細に観察して、もとの地点に到達、部下と共に帰還した。そして直ちに小隊を誘導して、無事患者を、戦車の包囲網の中から救出したのであつた。かうしたことは、ただ勇気だけでは出来ないのだ。沈着、豪胆、迅速、細密なる知察と、的確なる判断が必要である。実に石田伍長は、これ等を兼ねそなへ臨機応変に活躍したのであつた。

   ◇   ◇

終戦の日に、こうしたヒロイックな戦記を紹介できることは嬉しいです。

私が勝手に判断できないことだが、男ってのは、自分の活躍が語り継がれることに「生きた証」を感じるものだと思うのです。

それが、死してなお残る名声、プライド、<誇り>の一つだと思うのです。

上記のような内容は、アメリカの戦争ドラマ『コンバット』のように、日本でも描かれ続けてほしいものです。

・・・今回も、「ウズル水」と言う淡水湖の名前が出てきますが、ここは、戦場の最後方でもある。

8月22日の時点で、ここにも敵の戦車部隊がやってきているということは、ソビエト軍の包囲網が完成に近づいていることを示しています・・・。

                                                            (2008/08/15)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十一回】 [ノモンハン考]

☆明日は、靖国神社に御参りさせていただきます。

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十六柱   陸軍伍長 <岩崎 正吉>
 
    「隊長の無事を知つて瞑目」

 岩崎上等兵は、八月下旬の第二次ノモンハン事件当時、分隊長として活躍してゐた。

 敵戦車の数は以前に数倍して、数十、数百の巨体が、緑の地平線上に黒雲のやうに、あとからあとから湧き上つてくる。

「我が砲の威力を見せてやれ」 歴戦の勇士たちは、びくともせぬ。すばやく我が砲弾が虚空をかすめて飛んでゆく。鉄板を破る小気味のよい音。忽ち敵の巨体から火を吐くよと見る間に、煙が竜巻のやうに空に上りだした。

 その時だ、岩崎上等兵の傍にあつて指揮をとつてゐた中隊長が、突如、敵弾に当つて倒れた。

「やつたな!」

 上等兵は、歯を食ひ縛つて前方に躍り出ると、

「中隊長の仇討だ。射て、射てツ」と、部下を励ましながら、押し寄せ来る戦車群めがけて猛射猛撃を続け、遂によく寡兵をもつて数十倍の敵を撃退し、陣地を確保することが出来たのであつた。

 夜が来た。岩崎上等兵は、闇に乗じて、中隊長を安全な場所へ移さうと考へ、四名の部下を指揮して中隊長を担架に乗せ、護送することになつた。

 しかるにその途中、敵は突如我を発見して機銃を乱射して来た。一米先も見えぬ闇の中だ。上等兵は笑つて、

「なあに、盲射ちだ、行け、行けツ!」と、自ら担架に手を添へながら駆け出さうとした刹那、無念、飛び来つた一弾が、上等兵の胸を貫いた。

 上等兵はドツと倒れた。が、見よ、その手はまだしつかと、担架を掴んでゐるではないか。

「上等兵殿、上等兵殿」 傍の兵士が、耳に口を寄せて叫ぶと、上等兵は両目を見開いて、

「中隊長殿は? 中隊長殿はどうした」と、気遣はしげに叫んだ。

「中隊長殿は、御無事であります」と答へると、上等兵は嬉しさうに、

「さうか、それはよかつた。みんな、中隊長をよろしく頼んだぞ。いいか、気をつけて行け」

 と、とぎれとぎれに叫び、最期に、

「天皇陛下万歳」と唱えつつ瞑目した。しかも片手に、中隊長の担架の端を、しつかりと握りながら。

   ◇   ◇

<「我が砲の威力を見せてやれ」 歴戦の勇士たちは、びくともせぬ。すばやく我が砲弾が虚空をかすめて飛んでゆく。鉄板を破る小気味のよい音。忽ち敵の巨体から火を吐くよと見る間に、煙が竜巻のやうに空に上りだした。>

私は、今、この本を古本屋で買って、砲兵器について勉強したりもしている。

          『大砲撃戦 野戦の主役、列強の火砲』
          20080814111157[1] (2)[GUNS].jpg
          (イアン・V・フォッグ著 サンケイ新聞出版局)

でも、難しくって、その場では理解しても、すぐに忘れちゃうんだよなあ・・・^^;

また、<すばやく我が砲弾が虚空をかすめて飛んでゆく。鉄板を破る小気味のよい音。>については、もうすぐ公開の娯楽ヒーロー映画『アイアンマン』の予告編を見て欲しい。

その予告編の終わりのほうで、アイアンマンが戦車にロケット砲を撃つのだが、<すばやく我が砲弾が虚空をかすめて飛んでゆく。鉄板を破る小気味のよい音。>のニュアンスがやや伝わると思うのだ。

                    アイアンマン 予告編

                                                 (2008/08/14)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十回】 [ノモンハン考]

☆八十回だが、特に記念はせんよ。

今は、ただのコピペ職人に過ぎませんから^^;

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十五柱   陸軍曹長 <伊藤 ○雄>
                           (○は、読めない書けない漢字…、「酋+犬」。)

    「上官の身を庇いひて壮烈な戦死」

 伊藤軍曹は、明石部隊に従つて出動、連戦連闘各地に目覚しい奮闘を続けたが、中でも八月二十二日の、ウズル水附近に於ける死闘は物凄かった。

 早朝からの激戦中、九時三十分頃、突如隊本陣の背後へ奇襲し来つた敵戦車群は、戦車砲機関銃弾を一斉に集中して一挙に本陣を抜かんとする勢ひであつた。

 伊藤軍曹は、この様を見るや咄嗟に火炎瓶を引提げて突撃、敵戦車の真向からただ一撃と投げつけた。狙ひはたがはず、火炎瓶は熱し切つた敵戦車の車軸に命中、大音響と共に引火して、みるみる黒煙をあげて燃え上つた。伊藤軍曹のこの肉弾突撃は、友軍戦士の熱血を湧きたたせて、我も我もと肉迫攻撃を敢行、忽ち敵戦車三両を炎上させた。敵はこの大打撃に抗する力もなく、残る戦車をまとめて愴惶と逃げ失せたのであつた。

 伊藤軍曹の勇戦は、越えて二十六日のモホレヒ湖附近に行はれた激戦中、更に目覚しく現はれた。

 この日十三時頃、伊藤軍曹は部隊副官と共に、第一線陣地へ命令伝達に向つた。その途中、突如出現した敵機二十機の襲撃を受けたのである。敵機は猛烈に爆弾を投下した。巨弾は頻々と身辺に炸裂する。

 危急切迫の時に当つて伊藤軍曹は、我が身の危険を忘れ、ただ「副官殿危い!」と、連呼しながら、利用すべき地物を探しては、懸命に副官を救け入れるのであつた。

 だが、敵機は執拗に攻撃を止めない。

 遮るべき地物が何も見当らない平原に指しかかつた時、又も頭上に敵機が迫つて来た。唸りを生じて投下された一弾。

 危機一髪の刹那、思はず、

「危いツ!」と叫んだ伊藤軍曹は、いきなり副官を押し倒すと、その上に我が身をぐわばと打伏して、敢然身を以て副官を護つた。

 その時逓く、巨弾は遂ひに身辺に落下した(「逓」は字が違うかも…)。炸裂する弾片は、伊藤軍曹の全身に食ひ込んでその場に壮烈な戦死を遂げたのであつた。副官も同時に重傷を負つたが、幸ひ生命にさはる程ではなかつた。

 上官の身代りとなつて天晴れ武人にふさはしい最期を遂げた伊藤軍曹の、至情溢れた勇敢な行為には、誰一人泣かない者はなかつたのである。

   ◇   ◇

文中、二つの湖の名前があります。

     ウズル水

     モホレヒ湖

ここで言う「水」は、淡水湖のことを言います。

「湖」は、塩湖のことです。

                                         (2008/08/11)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第七十九回】 [ノモンハン考]

☆すんませんです^^;

先週の初頭、東京は西多摩地区を襲った集中豪雨…、その激しい雷雨による停電で、私の家のインターネット環境が崩壊し、四日間、ネットを使えなかったので更新が出来ませんでした。

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十四柱   陸軍曹長 <石田 昌平>

    「勇士臨終の願い」

 石田軍曹は大隊本部附で頑張つてゐた。第四中隊との連絡のために、大隊副官が出かけてゆく時、軍曹は呼ばれた。

「火急のことで、俺は本部を離れなけりやならない。帰つてくるまで、暫くの間頼んだぞ」

 軍曹は鵜の目鷹の目で、油断なく警戒した。

 敵の戦車砲弾は、間断なくあちこちに炸裂してゐたが、そのうちの一弾は、軍曹のすぐそばに落下して、左の下腿部に破片が命中した。

 一度倒れたが副官殿が帰られるまではと、すぐに起きあがつた。けれどもよろよろとよろめくのである。

 自分で自分を叱りながら、局部を手当し立上がつた。けれども出血で、次第に意識が遠のいていく、やがて倒れたが、倒れると気がついて、

「副官殿が……帰られるまで」

 と立ち上がるのだつた。

 そこへ帰つてきた副官は、この有様を見、軍曹のそばへ駆け寄つて、支へるやうにしていつた。

「石田軍曹、副官だ、帰つてきた。御苦労だつた。よく守つてゐいてくれた」

 すると、軍曹は気がゆるんだか、返事もしないで、ガツクリ伏した。

 しばらくして始めて、

「副官殿でありますか、大隊長は御元気ですか……」

 この期に及んで、上官のことを思ふ心根に感動しながら、

「大隊長は至つて御元気だ。戦闘は有利に展開しつつある。安心してもうしばらく辛抱しろ」

 軍曹は又目を閉ぢた。閉ぢたままいふ。

「安心しました」

 副官は、「待つてゐろ、いま、大隊長を連れてくるから」といひすててかけていつた。

 間もなく大隊長馬場少佐が、弾雨を冒してやつてきた。

「石田、よくやつてくれたな、馬場だ」とやさしく声をかけると、軍曹の顔はもう蒼白に変じてゐたが、両頬にかすかに微笑の陰がさした。

 副官はそばへ寄り添つて、「石田、何かいひ残すことはないか」と聞くと、「豫ての覚悟であります。何もありません」と答へたが急に手を突張つて、上半身を起しかけると同時に、かすかに「天皇陛下万歳」と叫びつつ倒れて行つた。

   ◇   ◇

ここで言う「天皇陛下」は、天皇陛下でありながら、逝く軍人が思い描く「日本の全て」なのである。

                                                         (2008/08/09)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第七十八回】 [ノモンハン考]

☆今日、<ブックオフ>でこんなの買ったよ![わーい(嬉しい顔)]

いわゆる、架空戦記ものですな。

私は、架空戦記と言うものは、同じくノモンハン絡みのものを一冊読んだことがあるだけです。

         『ノモンハン戦車戦 (林譲治著 飛天出版)』
          20080803181912[1] (2)[ノモンハン戦車戦].jpg
          「戦車戦」と題しつつ、カバーの絵は軍艦ですか・・・、そうですか…。

400円だったんですが、ブックオフではいい値ですなあ。

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第十二柱   陸軍軍曹 <石川 光雄>

 第十三柱   陸軍軍曹 <松村 清松>

    「弾雨中に敢然部下を救ふ」

 八月二十八日、ホルステン河畔の戦闘に於て、石川軍曹は分隊長として陣地を確保中であつたが、俄然敵戦車十数両、歩兵約二百名からなる有力な機械化部隊の逆襲を受けた。石川軍曹は敢然部下を指揮して反撃を開始し、敵も我が陣地を目指して銃砲弾を集中、ここに猛烈な射撃戦が展開された。

 この時、敵の放つた巨弾は、陣地右翼の掩壕に落下し、轟然炸裂すると、見る間に、掩壕内で奮戦してゐた部下四名を生き埋めにしてしまつた。辛らうじて首だけは表面に突き出したが、全身土砂に埋まつて身動きもならず、その上に敵弾は尚も雨となつて降りそそいだ。

 石川分隊長はこの様を目撃し、

「大丈夫だ。俺が出してやるぞツ!」

 叫びながら、圓匙で引掴むが早いか、敢然壕の中から躍り出した。

 丁度そこへ、来合せてゐた連絡係の松村清松軍曹も、

「よし、俺も行く!」

 と云ひながら、圓匙を拾つて続いて飛び出した。

 敵弾は引切りなしに飛んで来る。壕から躍り出した二人の身体は、敵からまる見えで標的には持つて来いなのだ。

 だが、部下を救ひ出したい一心の二人は、そんな危険を省みてゐる余裕もないのだ。

「辛抱しろ、すぐ出してやるぞ」

 口々に云ひながら必死に圓匙をふるつて、掘出しにかかつた石川軍曹と松村軍曹。

 四人の部下は、その姿を拝むやうに見詰めながら、

「分隊長殿、危いですツ。構はないで下さい」

 上官の身を気遣つて口々に叫ぶのだつた。

「敵の盲目弾丸が当つて耐るものか。もう少しだ。我慢しろよツ」

 部下の叫びは耳にも入れず、上官二人は渾身の力をふりしぼつて掘り進む。

 やうやく一人掘り出した。続いて又一人。

「分隊長殿、済みません」

 掘り出された部下は、涙をこぼしながら、傷ついた身を休めもせずに、残る二人の戦友を救はんと両手で砂を掻き分け彫り上げ、力を併せて働いた。

 かくて、必死の救助作業に残る二人の部下も無事掘り出されて、壕の中に駆け戻り、

「済みません、分隊長殿! 軍曹殿!」 互ひに抱き合つて、感激の涙にくれたのだつた。

 石川分隊長と云ひ、松村軍曹と云ひ、部下を思ふの一心で、敵弾下に危険も忘れて救出に努めた行為は、天晴れ我が武士道精神の発露と云ふべきである。

 このやうに上官も部下も一心同体となつて敵に当る我が軍の鉾先には、鉄と機械の精髄をあつめた敵の猛攻も刃向ひ得ないのは当然である。その日の敵の逆襲も、企図空しく、散々に撃滅されてしまつたのである。

 その翌日、石川軍曹は、更に七三八高地の敵陣に向つて進撃開始、その東南方約四粁の地点で、敵歩兵約百五十、戦車二十数両と相対し、猛烈な激戦を展開した。

 戦ひ白熱するに及んで、彼我の距離は僅かに二十数米に接近、物凄い手榴弾の投げ合ひとなつた。

 この時、沈着勇猛な石川軍曹は、敵の投げ込んで来る柄付手榴弾を、爆発瞬前に拾ひ上げて、投げ返し投げ返し、敵の弾丸で敵を倒しながら激闘一時間に及ぶ会戦を続けたのであつた。

 この豪胆不敵な石川軍曹の振舞ひには、敵も味方も、舌を巻いて驚いたのである。然し、石川軍曹は、この物凄い肉弾死闘に身を投じながら、一弾も受けず、僅かに爆破のために視力を損じただけであつた。

 誠に、石川軍曹こそは、部下を愛する純情の人であり、敵を怖れしめる鬼神の如き勇士であつたのである。

   ◇   ◇

 >>「その東南方約四粁の地点で」

「粁」とは、キロメートルのことである。

                                      (2008/08/03)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第七十七回】  [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第六柱   陸軍軍曹 <石戸 虎男>

 第七柱   陸軍伍長 <麻生 宗幸>

 第八柱   陸軍上等兵 <山下 巳之二>

 第九柱   陸軍上等兵 <中島 勇一>

 第十柱   陸軍一等兵 <涌田 一次>

 第十一柱   陸軍一等兵 <峯 敏一>
    (「敏」の辺は「田」であるが、その文字がネット上で見つからず、この文字にて失礼!)>

     「輝く保線決死隊」

 「前方の銃眼高地に電話を引け!」

 その命令の高地までは、砲兵陣地から数千米もあり、殆ど蟻の這ひ出る隙もないほどの弾幕が、水面に雨の注ぐやうに砂をはじいてゐる。

「準備はいいか!」

 石戸軍曹をはじめ六人は互ひにうなづきあふと、それぞれ十余巻の電話線を背にして、ヂリヂリ陣地から這ひ出て行つた。

「しつかり行けツ!」

「大丈夫か!」

 叫びかはしながら、一寸づつ二寸づつ匍匐前進する。大陸特有の赤々と燃える烈日に頭上から照りつけられ、手を触れるさへ熱い焼け砂からは、えんえん陽炎が立ちのぼつてゐる。電話線の重量は肩に食ひ込み、背を圧迫し、流汗淋漓として眼は上ずつて来るのだ。

 かうした困難を冒して六人は無事高地の観測所まで辿り着いたが、ホツとする間もなく、苦心惨憺して張りわたした電話線は、途中断線のため不通になつた。絶好な銃眼高地も、電話連絡を断たれてしまつては役に立たない。砲兵陣地からは一発の弾丸も発射出来なくなるのだ。

 六人は残りの電話線を背に再び高地を下りた。綿密に調べて行くと、驚くべし数十箇所の断線、しかもことごとく敵弾命中のためなのだ。それほど激烈な敵弾の中にさらされて、文字通り決死の作業はつづけられた。。

「しめたツ! 通じたぞ!」 石戸軍曹が叫んだ瞬間、放列に射撃号令が起ると、小気味よい衝撃が大気をゆるがせ、巨弾は唸りの尾を曳いて敵陣へ撃ちこまれはじめた。

 六勇士は無事に任務を果した喜びに、かがやく眼と眼でうなづきあひ、次々に敵陣を破砕して行く巨弾の行方を、手に汗握つて見送るのだつた。

   ◇   ◇

上記の「六勇士」だが、ご健在の方もいるでしょう。

生きながらに「柱」にしてしまって、すいません^^;

こうして、その活躍を記す名前が増えていくと、あるいは、「あっ! これ! 俺の親父だ!!」と言う、息子さんにあたる閲覧者の方もいましょう。

連絡下さい。

あなたのご尊父の活躍を教えてください。

・・・そして、「上等兵」と「一等兵」の違いも、どなたか、お教え下さい^^;

                                             (2008/08/01)
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