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【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十六回】 [ノモンハン考]

☆まだ、分からないんですけど、もうすぐ、来年のノモンハン事件70周年記念に向けて、ちょっとしたイベントを行なえると思います^^

 ・・・では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第三十一柱 陸軍上等兵 <伊藤 正五郎>

    「身を以って機関銃を庇ふ」

 七月二日以来、敵機械化部隊を向ふに廻し、わが機関銃隊は激戦を重ねてゐたが、蒙古原野で機銃の射線は砂塵がはいつて、よく故障を起すのであつた。

 伊藤一等兵は、射手として、いつも砂塵の予防いろいろと心をくだき、すこしの暇があると手入れを行ひ、射撃の万全を期してゐた。

 七月二十七日のことである。たまたま敵砲弾が銃側に炸裂し、自分も身に数箇所の負傷を負ふと共に、機銃も損傷をうけた。彼は、自分の傷どころではない。一大事とばかり直ちに機銃を分解して鮮血にまみれながら修理をつづけ、完全に直すと再び射撃を始めた。

 と、又も敵砲弾がうなりを生じて一等兵の身近に落下した。一等兵は、わが子を庇ふ慈母のやうに、素早く機銃を腹の下に抱きよせたが、その瞬間、砲弾は轟然と炸裂、破片は雨のやうに一等兵を襲ひ、そのまま壮烈な戦死をとげてしまつた。

 戦友は駆けつけて抱き起さうとしたが、機銃をしつかと抱きしめてゐる崇高な最期を見ると、彼等は雷光をうたれたやうに立ちすくんだ。そして彼等は口々に彼の真面目をたたえた。

                                       (2008/11/09)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十五回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第三十柱 陸軍上等兵 <池田 秀次>

    「決死突撃路を開く」

 わが軍の猛攻の前に連戦連敗、つひに国境線まで撃退された敵も、今は数段構への陣地を構築し、その間至るところに戦車をあたかも移動トーチカと云つた工合に配置して、死物狂ひの抵抗ぶりを見せてゐる。

 七月五日、わが前線に渡つて、進撃命令が発せられた。池田上等兵の属してゐた小隊は、とりわけ堅牢無比の敵陣地を前にして、少数の兵でこれを撃破しなければならず、戦況すこぶる苦境を極めた。

 この上は最後の強硬手段を取るほかはないと、悲壮な決意を固めた小隊長は、池田分隊長を呼びよせた。

「池田、御苦労だが、お前の分隊は決死隊となつて、あの突角陣地を奪取して貰ひたい。それをきつかけに全員進撃をやる」

「承りました、必ず奪取致します」

 今春陸軍教導学校を出たばかりの勇敢なる池田上等兵   彼こそは小隊長の最も嘱望する分隊長だつた。「何といふ甲斐甲斐しい任務だらう……」 日ごろ敬慕する隊長からこの重大な任務を命ぜられた彼は、欣喜雀躍、直ちに部下の分隊を率いて前進を開始した。

 それと見た敵陣地の機関銃は猛然と火を吐きだした。側方に散開してゐる敵戦車からも、戦車砲機関銃の滅多打ちだ。

「何をツ!」

 相手が手強ければ手強いだけ、池田上等兵の攻撃精神は燃えさかる。弾雨の中を、つひに敵陣寸前に迫つた彼は、

「突撃ーツ!」

 猛虎のやうに吼えながら、真先に敵陣へ躍りこんだ。部下の兵も遅れじと雪崩れ込む。忽ち起る凄惨な白兵戦   泣きわめく奴、逃げだす奴、じつとして手を合せて拝む奴、当るを幸ひきり伏せ、殴りつけ、またたくまにこの堅陣を奪ひ取つてしまつた。

 この大成功を見た小隊長は、直ちに全軍に突撃命令を下し、動揺し始めた敵陣を片つ端から攻撃して行つた。

   ◇   ◇

 ずいぶんと元気の出る池田上等兵の活躍である。

 ・・・さて、昨日かな、朝、FM<NACK5>を聞いていると、大野勢太郎が、先の自衛隊の護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故の、続報ニュースで、自衛隊側が事故検証の結論として、「清徳丸の方に原因があった」としたことについて、不満を言っていた。

「前に行なった反省の弁はなんだったんだ! こうした、後から自分の都合のいいように言うことを変えることはけしからん!」

 まあ、その内容についてはコメントしない。

 私には、その是非を決める主張を持っていない。

 ただ、そのセリフが心に引っ掛かった。

 よく、左翼は、昨今の大東亜戦争肯定論を、歴史修正主義だなどと揶揄する。

 あたかも、「前に行なった反省の弁はなんだったんだ! こうした、後から自分の都合のいいように言うことを変えることはけしからん!」などと。

 そして、このノモンハン事件についてもだ。

 だが、よく考えて欲しい。

 大東亜戦争終結直後、日本国民においては、現在の左翼の言うような、軍国主義の反省、戦争自体への反省の気持ちなどはなかったのである。

 この、ノモンハン事件直後の書籍『ノモンハン美談録』を読んで貰っても分かるように、ノモンハン事件への失敗の感情などはなかったのである。

 「前に行なった反省の弁はなんだったんだ! こうした、後から自分の都合のいいように言うことを変えることはけしからん!」

 という言葉を照らし合わせるに、「前に行った弁」「後から自分に都合よく変更」を、60年以上かけて為してきたのは、戦後民主主義と言う汚物の中でぬくぬくと生きてきた左翼陣営以外にはいないのである・・・。

                                                (2008/10/27)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十四回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第二十七柱 陸軍上等兵 <伊藤 金蔵>

 第二十八柱 陸軍上等兵 <長尾 金三郎>

 第二十九柱 陸軍一等兵 <坂下 重夫>


    「空襲下の戦友愛」

 敵地上部隊第一線と指呼の間に進出し、僅か十名に足りぬ人数で敵の航空情報を味方に速報する監視哨の任務は、他の如何なる任務にも劣らず不撓不屈の精神を必要とする。それだけに、同一監視哨に服務する戦友達は、互ひに肉親愛以上の友愛で結びつけられ、一本の煙草も一滴の水も必ず全員で分け合ふやうな間柄だつた。

 七月七日敵第一線との距離僅かに二粁のノロ●(分からない字、でも、なくても文脈に支障なし)七〇三高地に開設された家本軍曹以下の第十五監視哨は、同月二十八、九日頃敵機の偵察に発見され、三十日払暁から敵戦闘機隊の猛襲を蒙つた。

 だが、監視哨航空兵七名援護歩兵十五名はこれに対して果敢な反撃をくりかへし、その都度これを撃退した。やがて、大陸の巨大な太陽が、硝煙たてこめるホロンバイル平原の地平に没しようとする十九時三分、敵はNTI十六戦闘機を始め五十数機の大編隊を以つて、一挙監視哨を粉砕せんと襲来した。

 対空射撃は息つくひまもなくつづけられたが、数をたのむ敵機は五六百米の低空に舞ひ下り、三方から監視哨の天幕を襲つて来る。天幕は機銃弾の驟雨に射抜かれ、その中で必死に電信を打ちつづける主通信兵伊藤上等兵は危険に瀕した。

「伊藤上等兵、中へ入れ!」 叫びざま天幕の中へをどり込んだのは、今まで天幕の外で敵機を監視してゐた長尾上等兵だ。

 が、伊藤上等兵はわき目もふらず基地への連絡をとつてゐる。

「早く、早く! あとは俺がかはる!」

 戦友の身を危ぶんで、長尾上等兵は伊藤上等兵にかはらうと云うのだ。

「貴官こそ早く出ろツ、此処は危険だ!」

 思ひは同じ伊藤上等兵、いつかな電鍵を放さうとしない。長尾上等兵はやむなく傍にあつた坂下一等兵と協力すると、発電機の転把をとつて回転させ、発電に奮闘した。

 轟々と空を●(「厭」の下に「土」)する爆音、雨と降る機銃弾の下に、状況は基地へ完全に報告され、やがて三人は無線機材を防空壕へ運び入れ、人員機材とも奇跡的に異常なく、無事に重大任務は果された。

   ◇   ◇

舞台となるノロ高地は、大激戦地である。

戦中最大のベストセラー、草葉大尉の著した『ノロ高地』に詳しい(近日、その内容を報告します)。

私は、今回、この話を読み始めたとき、主人公の3人が戦死してしまうのかと思って読み進めた。

しかし、結果は、少なくとも、この戦闘においては、3人は生き抜いた。

・・・だが、草葉栄大尉の弟・草葉宏中尉はノモンハンの地で戦死している。

その話もまた、この『ノモンハン美談録』に収録されており、後日、語りたいと思う。

                                        (2008/10/19)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十三回】 [ノモンハン考]

☆前々回、「7月7日の戦車戦」を、渡河作戦でのハルハ側西岸の話だと書きましたが、今、ちょっと出先で資料が近くにないのですが、7月7日においては、渡河作戦は撤収していたような気がしています。

後日、確認することにします。

しかし、私は、出先にも、こうして本を持参して、更新するなんて偉いですよね^^

では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

なお、「地を這う神々の境地」は、『ノモンハン美談録(満州国書株式会社)』の転載ですが、最近、日本教育再生機構の会報が届き、それには、渡部昇一氏の「美談を伝えよう」と言う文章が載っていました。

ノモンハンの美談は任せてください!

   ◇   ◇

 第二十六柱 陸軍伍長 <池目 忠男>

    「銃側に輝く大和魂」

「小隊長殿、前方六百米に敵戦車が現れましたツ」

 監視兵の力強い声が、銃砲声の中に凛として響きわたつた。すはこそ、好敵ござんなれと、全員は一斉に配備についた。機関銃射手の池目上等兵も、指先を引金にかけ、らんらんたる眼で敵戦車を睨んだ。

「まだまだ早い。射つなツ」 隊長の落付き払った声が流れてくる。

 見る見るうちに敵戦車は、二両、三両、四両   遂に十数量を数え、凹地伝ひに猛然と押寄せて来た。砲塔からは物凄い戦車砲弾、重機弾が火を吐いて飛んでくる。わが重機は一斉に銃口を敵に向け、じつと固唾を呑んで隊長の号令を待つてゐる。

 いよいよあと四百米。

「よし、射てツ!」 号令一下、待ちかまへた各重機は、ここぞとばかりに火蓋を切つた。

 見よ! 我が弾着の正確さを! 小気味のよい音を立てて、一弾の無駄もなく敵戦車に命中するのだ。敵はこの猛撃に恐れをなしたか、慌てて矛を転じて、凹地の中へ逃げこんでしまつた。

 が、敵もさるもの、ひそかに我が陣地の側方を迂回して、後方から襲撃せんとした。早くも、敵の意図を見抜いた隊長は、

「中隊直轄重機は、○○方向陣地転換」と、大声に名を下した。

 敵前の陣地転換は、一刻を争ふのだ。池目上等兵は、射手を助けつつ、砂のざらざらと崩れる丘の上へ、必死となつて重機を引き上げた。したたる汗が砂と一しよに目に沁みこむが、こすつてゐる間もない。前面には早や敵戦車の姿が大きく現れた。

「直轄重機は左後方の戦車、射てツ!」

 隊長の号令もろとも、池目上等兵は、銃身も焼けよとばかりに、射ちまくる   。敵戦車は忽ち我が猛火に射すくめられて、一箇所に停止してしまつた。「今こそ!」とばかりに上等兵は、すばやく保弾板二連を装填、まさに、連続射撃に移らんとした一刹那、がくりと重機の上に突伏してしまつた。

「池目、どうしたツ!」 分隊長が駆け寄つて抱き起さうとすると、上等兵の脇下から、鮮血が噴き出てゐる。敵の散弾に、胸部を貫かれたのだ。

 しかし見よ、上等兵は尚も銃をしつかと握りしめたまま、戦車を睨んでゐるではないか。しかも銃口からは、引続き火を吐き、敵戦車の司令塔に凄じい音をたてて命中してゐるのだ。瀕死の重傷を受けながら、あらん限りの力をもつて、今こそ最期の猛射を浴せかけてゐるのだ。この尊き姿、この旺盛なる攻撃精神。   鬼といはれた分隊長の胸に、ぐつと熱いものがこみ上げて来た。

「池目! おい池目。ありがたう」 分隊長は上等兵の肩に手をかけ、涙にふるへる声で叫んだ。

 その時、二連の保弾板を残りなく射ち終つた上等兵は、満足さうにほほ笑みつつ、

「天皇陛下万歳」と、途切れ途切れ叫びながら重機の上にがつくりと低頭れて息が絶えた。

 が、上等兵の最期の猛射は、遂に敵戦車を完全に制壓し、一歩も近寄せなかつたのである。

   ◇   ◇

・・・「二連の保弾板」とは何だろう。

機関銃の弾薬のベルト状のものだろうか?

                                           (2008/10/12)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十二回】 [ノモンハン考]

☆やはり、私は、ノモンハンで戦った英霊に、後押しされているのかも知れない・・・。

 本日、出勤し、上司と車で街中を巡っていると、とある街中で、古い雑誌が束で捨てられているのを見た。

 走る車窓から、それが、歴史の雑誌だと分かった。

 欲しかった・・・。

 しかし、私は転職したばかりで、同行の上司に、それを拾いたい、などとは言えなかった。

 20メートルほど進み、赤信号で車は停まった。

 何かに突き動かされて、言った。

「僕は歴史が好きなのですが、今、歴史の本が束になって捨てられていたので、拾って来ていいですか?」

「おお^^」

 私は、府中の町を走った。

 そして、三つの雑誌の束を拾った。

 ほとんど、「中央公論」増刊の『歴史と人物』、『歴史と旅』(秋田書店)、『歴史読本』(新人物往来社)であった。

 エッチラオッチラと、三つの雑誌の束を車に運び込んだ。

 その一つの束の、一番上の表紙を見て驚いた・・・。

   歴史と人物.jpg

     特集<ノモンハン事件の再検討>

                 だそうだ・・・。

   ◇   ◇

 その発行日は、昭和五十九年十二月二十五日だった。

 ノモンハン事件の、ソ連側の重要な要素が判明する、ゴルバチョフによる<グラスノスチ>以後、ではある。

 しかし、その情報の恩恵は、まだ、日本にまで訪れていなかっただろう。

 ・・・その目次。

   ノモンハン目次.jpg

 これから読んでいくが、雑誌で、これだけノモンハンを記した作品はないだろう・・・。

 ノモンハン従軍者の対談もある。

 そして、その司会は、半藤一利である^^;

 しかし、この頃は、半藤や司馬遼太郎による、「ノモンハン愚戦」論が固まる以前の、もっと幅のあるノモンハン考が語られる時代であったと思う。

 半藤自身の考えも、そうは固まっていなかったと思う。

 とにかく、その内容の報告を待っていて欲しい^^

 A・D・クックスや伊藤桂一も稿を寄せている。

 これから、寝る前に読むのが楽しみだ!

                                                    (2008/10/09)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十一回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第二十五柱 陸軍伍長 <猪狩 功>

    「俺の屍を越えて行けツ」

 七月七日、その日はドンヨリと雲が垂れて、生温い風が一日中同じ方向から吹いてゐた。一瞬夏草に覆はれたバルシヤガル高地に陣取つて十数倍の敵と対峙してゐた部隊は、終日敵の猛射をうけながら、満を持して動かず、ひたすら夜の来るのを待つた。この敵の堅陣を破るには、夜襲よりほかはないのだ。

 つひに夜が来た。星明りすら見えぬ闇夜だ。いよいよ進撃の火蓋は切つて落された。わが夜襲こそ、敵の最も怖れるものだ。戦々恐々として夜を迎へた敵は、忽ち十五糎その他の火砲を集中して、わが前進をさへぎらうとする一方、待機した戦車群は一斉に火を吐き出した。見るも物凄い銃砲弾の嵐   部隊はつひにこの戦車群のために前進を一時中止せねばならなくなつた。まづこの戦車をやツつけておかなくては、前の陣地は取れない。小隊長は意を決して分隊長猪狩上等兵を呼んだ。

「猪狩分隊、敵戦車群を肉迫攻撃せよ!」 悲壮な命令だつた。わづか一分隊をもつて数十両の戦車群への肉迫攻撃。

 だが、さすが小隊長に見込まれただけあつて、豪勇果敢の猪狩分隊長はビクともしなかつた。演習のときと少しも変らぬ沈着さで、直ちに分隊全員を集め、任務を告げ知らせるとともに、攻撃方法を十分に打合せた。

「さあ行かう。みんな頑張れ! 俺が倒れたら、俺の屍を越えて行けツ!」

 決然命令を下し終ると、自分も地雷、火焔瓶をひつさげ、真先に弾雨の中にとびだした。隊員も遅れじ突つ走る。

 やがて第一の戦車へ忍び寄つた猪狩上等兵は、飛鳥の如く身を踊らして無限軌道にとびつきざま、砲塔の上から火焔瓶をたたきつけた。

 忽ちパツと燃え上る戦車。

 してやつたりとばかり、上等兵はすぐさま第二の戦車に駆けより、それと知つて慌てて逃げようとする戦車の下へ、今度は戦車地雷をさし込んだ。

 轟然たる爆音……さしもの鐵牛もたはいなく破壊されてしまつた。同時に他の数両も、隊員たちによつて次々に破壊され、夜空に炎々たる火を吐いて燃え始めた。

 これに驚いた敵は、周章狼狽、燃えだした僚友の戦車を残したまま一目散に逃げだしてゆく。これを見た友軍は、ワツと喚声をあげて突撃を開始した。

 だがその時、敵戦車が逃げながら盲撃ちに乱射する機関銃弾は、かくや猪狩上等兵の頭と胸をうち貫いた。

「分隊長殿! 小隊は突撃を始めました。大勝利、大勝利ですツ!」 部下が抱き起して叫ぶと、

「うむ……行け!」と、敵の方を指さしたまま壮烈な最期だつた。が、その死は決して無駄ではなかつた。友軍は忽ち相続いて敵陣に殺到し、更に次の陣地へと突撃をつづけて、つひに全軍戦勝の基を開いたのである。

   ◇   ◇

これは、日本軍による<河渡河作戦>での、ハルハ河西岸での出来事だと思われる。

     『俺が倒れたら、俺の屍を越えて行けツ!』

この言い回しは、現在でも使われているが、語源と言うか、言い始めはいつなのだろうか?

何となく、戦国時代チックであるが、意外に、このノモンハンの頃から言い始められたのかも・・・。

「(敵を)叩くッ!!」と言う表現は、日露戦争時に言わはじめた言葉だそうだ(by司馬遼太郎)。

どの将校が言い始めたのかは、私、忘れてしまった^^;

                                                 (2008/10/07)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第九十回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第二十四柱 陸軍伍長 <岩切 經廣>

    「死の弾薬運搬」

「おい、頭が高いぞ。もつとこごんで歩け!」

 重い弾薬箱を背負つた数名の弾薬運搬隊が、窪地から窪地へと匐ふやうに走つてゆく。先頭に立つて時々振返つては声をかけるのは、弾薬係の岩切上等兵だつた。

 敵は、重砲、野砲、迫撃砲を、さかんに射つてくる。何の遮蔽物もないこの草原では、一寸でも頭を上げると、忽ち敵の射撃目標になつてしまふ。

「さあ、もうぢきだぞ、頑張れ、頑張れツ」 上等兵は、汗ダクダクの部下たちを励ましながら、とある斜面を登りだした。

 一上等兵の身で、弾薬係全部の重責を負つた彼    それだけに彼は、大層細心で、責任観念の人一倍強い兵だつた。

 弾薬運搬員の苦労は、武器をもつて直接敵と戦ふ戦闘員のそれに比べて、決して劣るものではない。むしろ一層危険で骨の折れるやりにくい仕事である。しかも戦闘中の機関銃手に一刻も後顧の憂ひなからしめるやうにしなければならぬ。岩切上等兵の苦心は実に涙ぐましいばかりだつた。

 やがて斜面を登り切つて、稜線の上へ出ると、

「さあ、ここは危険だぞ。俺につづいて、うんと突つ走れ!」

 サツと斜面を駆けおりる。とたんに敵の機関銃がパリパリと射つてきた。

 それでも全員無事に、機関銃のある次の斜面にとりつくと、上等兵は部下を督励して弾薬配分を終つた。

「よし、出発! おれは第三小隊へ持つてゆく」 さう云つて上等兵が斜面を横に匐ひはじめた時である。

 突如、ドカーンと背後に落下炸裂した砲弾の破片が、岩切上等兵の右胸部に命中した。一瞬、「むツ!」とうち伏したが、強気の上等兵は、何をとばかり立上つて駆出さうとした。

 が、立つたかと思ふと、又ドツと崩れるやうに倒れてしまつた。

「岩切、岩切上等兵、しつかり!」 戦友に抱きおこされると、走るやうに手足をもがきながら、

「だ、弾薬……弾薬を早く……」と、続けさまに叫び、叫びながら止めどもなく口から鮮血を吐いた。

「心配するな。弾薬は俺が引受ける。敵はもう退却したぞ!」

 戦友の叫びに、やつと安心したらしく、

「天皇陛下万歳!」と一声高く奉唱すると、又一声、続いて一声、三唱し終るともう息がなかつた。

   ◇   ◇

「最近の若者は情けない」などという言葉をよく聞くが、私は最近、そうではないかも、と思いはじめている。

現代の若者たちも、状況・・・、つまり、時代や社会背景が異なれば、岩切上等兵のような「滅私」の生き方を当然のように出来るのではないかと思っている。

そして、たまに、戦争映画を見ると、卑怯な人物が出てくるが(例えば、『硫黄島からの手紙』の中村獅童がやった役)、ああいった人物と言うのは、現代に生きる私たちの感覚の投影で作られたキャラクターなのではないかと思うのだ。

・・・いや、確証はない。

ちょっと思いついたのだ。

                                                  (2008/09/30)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十九回】 [ノモンハン考]

☆仕事中、車で、甲州街道から環七に入ったとき、電柱に、なんか毒々しいポスターが括りつけてあるのを見た。

それには、確かに、「ノモンハン」と記されていた。

見たのは一瞬だが、自分が常に意識している言葉は、現実の情報過多の中であっても浮き上がってくるものだ。

海外を旅していても、食堂で、隣りの席の外人が外国語の会話の中で日本語の単語を使ったとすると、さして意識をしていなくても、すぐに単語が浮き上がってくるのと同じ理屈だ。

甲州街道・環七は、ともに車の行き交いが激しい通りであるが、運転しながら、私は、確かに「ノモンハン」の文字を捉えた。

そこで、車を停めて確認するわけにも行かず、私は、「おそらく、どこかの小劇団が、ノモンハンを題材にした舞台をやるのだろう」と思った。

   ◇   ◇

その後、環七を通った時には、そのポスターはなくなっていた。

気になって、ネットで調べてみた。

すると、どうやら、左翼映画監督の渡辺文樹の映画だったらしい。

どこかの公民館を借りて、自分の新作を上映しようとしていたらしい。

この人、15年ぐらい前から、こういったゲリラ的な上映ばかりしている。

相田みつをタッチで、でも、ベクトルは正反対の「バリゾーゴン」とか書いたポスターを八王子中に貼ってたりしていた。

今回は、9月の初旬に、左翼的な内容の「天皇伝説」「ノモンハン」と言う作品を上映しようとしていたらしい。

それが、上映中止になったらしい。

てゆ~か、どこの公会堂でも、上映中止になっているらしい。

まあ、私の思想的には、抗議した右翼団体や、上映禁止した行政側に「GJ!」の言葉を送りたくもあるのだが、私は、「天皇伝説」はともかく、「ノモンハン」は、正直、見てみたい。

低予算映画でノモンハンの戦場を描くのは難しいと思われるが、体験記を語るようなドキュメント的な作品であれば、少しは、私にとって有益な内容であろうと思えたのだ。

映画「ノモンハン」は、現在、福島で一度、上映されただけだそうだ。

・・・例え、偏った思想の映画であろうとも、見れて、その内容の吟味を出来る体制の世の中であって欲しいものではあるが・・・。

・・・だが、偏った思想による「嘘」の内容であったらば、大問題が生じる。

   ◇   ◇

     (左翼サイトより)
          渡辺文樹監督の映画「天皇伝説」「ノモンハン」の上映妨害について
          「天皇伝説」渡辺文樹監督逮捕事件の真相

リンクさせた上のサイトは、関連リンクも豊富のようですよ^^;

こういった左翼サイトにつきものなのは、自分にとって都合のいい状況においては、どんなに嘘やデマゴギー、誹謗中傷を行なおうとも、「表現の自由」の前にあっては許されると思っていることだ。

・・・天皇批判は行なわれてもしかるべきであろうとも、嘘で塗り固めた内容であった時、それは、取り締まられるべきものと化す。

そして、自分にとって都合の悪い状況においては、どんなに自陣側に不正があろうとも、「基本的人権」を掲げて免除されると思ってやがる。

・・・上記にリンクさせた月刊『創』の編集方針など、正に、それである。

延々と、加害重犯罪者の人権を守り、被害者の尊厳を蔑ろにし続けている。

   ◇   ◇

・・・「ダブル・スタンダード」は、よく批判の対象になるが、私はそうは考えない。

具体的事例の前にあっては、その構成因子の違いで、違う結論を出さねばならない時もある。

しかし、左翼って奴は(もしくは、一部の保守派も)、常に「間違ったダブスタ」を延々と演じている。

個々の具体的事例において、常に間違った選択肢を選び続けている。

それは、近年、徐々に一般社会(常識)との乖離を始めている。

   ◇   ◇

ポスターをここに転載したいのだが、載せているサイトが全て左翼サイトなので、私が拝借しようものならば、このブログを管理している<So-net>に圧力かけて削除しようとすると思うと、メンド臭いので、やめときます。

私は、かつて、数十万のアクセス数を誇っていたブログとホームページを、左翼的な人格の「自称・保守派」の粘着的な裏工作によって消されたことがある。

そういった奴らのやり口は、うざいのである・・・。

                                            (2008/09/22)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十八回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第二十三柱 陸軍伍長 <伊地知 忠士>

    「気魄で引く引金」

 一時退却した敵は、又もや八両の戦車と装甲車をつらねて正面から逆襲してきた。車軸を流す豪雨のやうに、戦車砲弾、機関銃弾をあびせてくる。

「射てツ、最後まで射てツ!」 分隊を指揮しながら、自分も懸命に射撃してゐた伊地知上等兵が、突然、

「しまつた!」と叫んで倒れた。左大腿部を敵弾が貫通したのだ。が、強気の上等兵は、部下が誰も気づかないうちにすぐ起上がつて、歯を食ひしばりながら射撃をつづけてゐた。

 が、一分とたたない間に、第二弾が左胸部を貫いた。思はず前のめりになつて、がつと口から血を吐いた。その血が胸から腹へと伝はつて、全身血だるまとなつた。

 だが、彼はそれでも屈せずに銃を握つて応戦してゐた。

 戦友の一人が見かねて駆けよつてきた。

「伊地知上等兵、後退しろ」 肩を抱いて連れ戻さうとしたが、上等兵はその手をふり払つて、

「何ツ、俺はこれから戦闘するんだツ!」と、血みどろの手を引金にあてて一発発射した。

 その瞬間、憎むべき敵の第三弾は、照準のためにつぶつてゐた上等兵の左眼に発止と命中した。

「ざんねん!」 さすが鬼をもひしぐ気魄の上等兵も、ノモンハンの華と散つたのである。

   ◇   ◇

大戦時代の記録を読むと、「伊地知」と言う姓の方が度々活躍している。

東京に住んでいる私には、馴染みのない姓である。

明治維新の頃から歴史の表舞台に出てきた薩摩や長州ではメジャーな名字なのでしょうか?

                                                  (2008/09/07)

【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第八十七回】 [ノモンハン考]

☆では、『ノモンハン :地を這う神々の境地』です。

   ◇   ◇

 第二十二柱 陸軍衛生伍長 <飯田鶴雄>

    「不屈な戦場の天使」

「痛いか。痛いなら助かる。安心しろ。すぐだ、もうすぐ終る。じつと寝てゐりやア自然に血は止るからな」

 負傷兵に元気をつけるやう、絶えず励ましながら、飯田衛生上等兵は、次々に仮包帯を巻いてやるのだつた。激戦の最中である。弾丸は遠慮なく飛んで来る。幾人目かの仮包帯を終へた時、一弾は音もなく飛来して、この勇敢な衛生兵の胸をも一気に貫いた。

「ううむ」と、気丈な彼も、危く前に倒れさうになつたが、漸く堪へた。血潮は胸を、はや眞赤に染めてゐる。

「飯田、寝ろ。ちよつと寝ろ。俺が今度は仮包帯をしてやる」

 戦友の一人が駆け寄ると、

「有難う。だが、俺のは貫通だ。胸の貫通に少しばかりの包帯をしても、とても血止めにはならん。これ位の傷ぢや、まだ死にもすまい。ちよつと行つて来る。まだあの凹地には、負傷者がゐるらしい」

 そんなことを云ひながら、いきなり歩いて行くのである。それでも、可なり苦しいと見え、左手で右胸の傷口を押さへつつ行く。その気丈さには、流石の戦友達も舌を巻いてしまつた。

「いくら毎日出血やら負傷やらの手当に馴れてゐても、よくまああんなに平気でゐられたものだ」 さういつて、あきれるのも道理、遂に彼は胸部貫通銃創に、手当も受けず、その儘頑張り通してしまつた。勿論、顔色は、蒼白になつてゐたが、

「これだけ血が出りやあ、青ざめもするだらうぢやないか」

 と、笑って相手にしない。

 この豪胆が、傷口を塞がせたか、翌日は少し出血も減つたらしい。

 又一日経て、八月三十日のことである。部隊は、敵の猛烈な逆襲の目標となり、陣前で、幾度か白兵戦が展開され、その都度敵を撃退はしたが、負傷者の数も沢山出た。飯田衛生上等兵は、傷の為、右腕が不自由になつてゐるのにも拘はらず、この激戦の陣地を駆け回つて、しきりに負傷者の手当を続けてゐた。隊長が彼の負傷を知つて後退を勧めるが、頑としてきかない。

「若し自分が後退すれば、部隊には衛生兵が一人も居ないことになります」

 といふのが彼の答である。

 幾度目かの白兵戦の後だつた。陣前に倒れてゐる戦友の姿を、壕から顔を出して見てゐた彼は、

「あツ、まだ生きてゐる」

 呟くように云ふと、いきなり壕から匐ひ出して行つた。不自由な右腕右胸をかばつて、左を下にし、左手で匐って行く。漸く全身紅に染つて倒れてゐる戦友に近づくと、その足を持つて、そろりそろりと引張つて来始めた。

 と、この時、突如として、潜入近迫して来た敵兵の投げた手榴弾が、彼の傍らに炸裂したのだ。全身に爆創を浴びて、流石の彼も、戦友達の目前で、あつと思ふ瞬間倒されてしまつた。

 ややあつて、その遺骸を収容した戦友達は、この戦場の天使ともいふべき飯田衛生上等兵の壮烈な死に、熱い感激の涙を注いだのである。

   ◇   ◇

・・・八月三十日は、まさに、ノモンハン事件の最終局面であった。

九月に入ると、戦場は、双方、膠着状態に入り、十五日に停戦協定が結ばれる。

                                                         (2008/09/06)
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